仙台の服部です!(第7信)
服部 豪志
05/23 (月) 19:36
仙台の服部です!
全石連というところで発行している業界紙がございまして、私の会社も購読しております。
こちらの紙面に、長年の同業仲間であるYさんの記事が載っていましたので、ぜひ紹介させていただきます。
Yさんは、いま原発事故で20キロ圏内(警戒区域)となっている双葉町でガソリンスタンドを営んでおりました。
震災発生の後、特に被害も少なく電力も程なく復旧したYさんのスタンドには、やはりガソリンや灯油を求めて客が殺到し店員さんたちと夜通し対応に追われていたその翌朝、白い防護服に身を固めた警察官がYさんたちの前に現れ、Yさんたち町民に強制退去を言い渡しました。
突然の事態にもかかわらず、Yさんは配達車両(ローリー)数台に灯油、軽油、ガソリンを積込み、その車両に店員さんたちを分乗させそのまま川俣町の避難先に向かったそうです。(その咄嗟の判断、なかなか出来るものではないと思います)
その時分、東北地方はまだ寒かったし雪も降ったりしていましたね。
Yさんが持ち運んだ灯油や軽油は、付近の避難所に配られたとのことでした。
埼玉県内への避難が決まると、退去以来行動を共にしていた店員さんたちを家族のもとに帰し、ご自身双葉町の避難所で暮らしておられます。
現在町の避難所は加須市内の方に移されましたが、高齢のお母様や奥様のために近くに家を借り、ご自身は飽くまで双葉町の住民と共に避難所にあり、町民たちのまとめ役を買って出ているとのことです。
「いつか双葉町に還る」というYさんの決意の言葉で記事が締めくくられておりました。
避難の原因である「福島第一」の状況も日々と深刻さが明らかになっていくなかで、いつになったら日常生活を取り戻せるのか?ひょっとしたら取り戻せないままで終わってしまうのではないか?「先が見えない」という不安で頭のなかがパンクしてしまうでしょう。(きっと自暴自棄ですね)「隣人のために」どころか己の精神を維持するのでさえとても難しいと思います。
一方、Yさんの配達車両の方は、津波で店舗や車両が被災してしまった宮城県沿岸部の同業仲間のSさんにお貸しているとのこと。先日Sさんと偶々お会いした際も、Yさんへの感謝と称賛の言葉が聞かれました。「感謝してもしきれない…」と。
去年の夏、Yさんとお会いしております。
Kスタで楽天のゲームを観にお孫さんを連れて仙台に来られたのですが(車をKスタと目と鼻の先である私の会社の敷地にとめるつもりで)雨天のためにゲームが中止になってしまい、残念そうに帰って行かれたのを思い出します。