ワラをもつかむ思いの人へ・・・
虎
03/28 (木) 08:40
実は心霊治療家に腕のいいも悪いもない。患者の側に治る人と治らない人がいるだけである。ある時期、私は治療成績の因果関係を分析してみたことがあるが、病気にまつわる要素が余りに多くてすべてに通じることができず、また治癒エネルギーの働きに人間の理解を超えた部分が多すぎて諦めた。
しかし、その調査をしていくうちに一つだけ顕著な事実が浮かび上がってきた。それは私の治療で奇蹟的に全治した人、そしてその後二度とぶり返さない人というのは、十人中九人までが長期間にわたって苦しみ抜いた、つまり絶望の寸前にやっとの思いで私のもとに辿り着いた人だということである。
私は誰かれの区別なく、すべての人に治療を施してあげる。がこの治療がどの程度効くかは患者によって違ってくる。一回の治療で奇蹟的に治る人もおれば、何回か治療を重ねて少しずつ治っていく人もいる。治療した時は効果が見えず、それきり来なくなった人が実は治療後二、三日して突如全快したというケースもある。が、長い長い闘病生活で疲れ果て、身も心も荒廃しきった人ほど目を見張るような効果を見せるというのが、偽らざる事実なのである。
譬えてみれば、すっかり飲み干されたグラスほどたっぷり注ぐことができるということかも知れない。つまり病気で苦労しただけ、それだけ真理を受け入れやすくなっているのかも知れない。というのは、前章で述べた通り、心霊治療は目的ではなく人間的成長のための手段なのである。肉体的病気も長期間続くと精神まで荒廃させる。
仕事は失う。能力は衰える。再就職の道は閉ざされる。医者からは〝生涯この体で生きる方法をお考えになった方がよろしい〟と、死刑にも似た宣告を受ける。
この絶望の淵から、ワラをもつかむ思いで心霊治療家を訪れる。治療家がその病に痛めつけられた身体にそっと手を当てる。すーっと痛みが消える。曲がっていた腰がしゃんとする。一瞬のうちに、そして完全に、その人は治る。その時、患者の魂が目を覚ます。
霊性が開発される。生まれて初めて、見つめるべき方向へ目が向く。神の啓示に触れたのである。人生に大革命が起きる。そして二度と後戻りしない。心霊治療はその道案内の手段なのだ。
ここで私は声を大にして言いたい───苦しみと病に疲れ果てた人たち、人生に迷い生きる勇気を失った人たち、そのからだで生涯を送れと宣告された人たち、人生の歯車を狂わされてしまった人たちに言いたい。どうか希望を失わないでほしい。落ちるところまで落ちたら、あとは道は一つしかない───上昇するのだ。あなたのグラスには一滴もなくなった。さ、これで、こんどはなみなみと注がれる準備が整ったのだ。(後略)
☆☆───テスター著「私は霊力の証を見た」五章からの抜粋ですが、このような状態の人が何人か見えました。みな寛解を得たように思います。この世は法則によって支配されているのは確実のようです。その心は、あくまでも「本人の治癒」へ心の求めです。
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しかし、霊的治療は日本においては未だ本格的な普及の緒についていない、その最も大きな理由の一つは、スピリチュアリズムの基本的理念が、これを推進させようとする人々のグループにおいてさえ、未だしっかりと根を下ろしていないために、これを人類的規模で展開しようとする霊界の意図と結びつかないためであると考えられる。
したがって霊的治療を行なおうとする人の観点が、従来の信仰治療ないし霊術家の霊術的段階を脱しえていない。その結果、現在みられる治療の小規模な成功例は、個人の背後霊のカルマの発動の範囲であり、治癒はたかだかその陰徳の発露でしかないもののようである。
残念なことに、わが国における霊治療の実体は未だに「治癒」を奇跡の領分にとどめているのである。
───以上は梅原伸太郎氏のことばです。が、その梅原伸太郎さんも今はこの世になく氏が立ち上げたと思われる「シルバー・バーチ記念 サイキックフォーラム21」も今は活動されていないようです。日本の霊的指導者を失い残念でたまりません。