祈りは魂の奥底から湧き出る叫び

11/23 (木) 14:25

 祈りについてのご提案ですが、私が今まで魂の奥底から発した叫びは何度かありましたが、本物の祈りと言えるものはたった一度でした。あとは自己愛に発したものばかりです。シルバーバーチのように毎回交霊会開催時、閉会時に捧げる祈りは私のような凡人には不可能です。言葉の羅列でしかないからです。

ある読書会で開始と閉会に祈りを捧げているところもあるようですが、魂の奥底から湧き出る心境でないと、言葉そのものが邪心に支配されてしまいます。それではやらない方がいいと思います。

 その私のたった一度の祈りとは、
 仕事仲間がカゼ菌が脳に入り、医師から最後通告を受けました。彼は仲間が主催するボランティア活動に誘ったところ(私が誘った)快く応じてくれました。その後分かったことですが彼は率先して善行なるものは初めてのようです。当時、倫理運動(社団法人倫理研究所)で積極的に活動していた私は、祈りは天に通じる、ということも学んでおりました。

善行の見返りはこのような時に必ず報われるはずだ。妙に確信があった私は、当時は神の存在もはっきり知りませんでした。その知らない神に三日三晩祈ったのです。

 「神よ、どうか仲間の命をお助け下さい」・・・
 すると、やがて〝ダメ〟です。とお答えがありました。私はどうしてダメなのか??と問いました。

 彼は〝箸にも棒にもかからないような生き方をしている〟(善でも悪でも)人の役に立っているが、彼の存在は居てもいなくとも価値はない。というようなことだったようです。私は食い下がりました。たった一度私の誘いに善行しました。この善行は無駄だったのですか??。そんなことはあり得ないはずだ。今までの学びの中から必ず報われると学んだ・・・・・・。

 と、それはそれは真剣でした。二度、ダメ、の声でした。

 私はもう夢中になりました。もし彼のこの善行がムダに終わるなら私は神を信じない。善行は絶対無駄に終わってはいけないはずだ。と訴え続けました。

 やがて彼は気がつき徐々に回復し、右半身に多少の麻痺は残りましたが普段の生活が出来るようになりました。

 二度目は、足立読書会会場主(当時、足立会場は読書会かつしかの足立会場だった)の女性の方の末期がん患者でした。癌は完治したのに肺に水がたまり苦しんでおりました。私は、彼女が亡くなれば足立会場は閉鎖になる。神との約束を果たせなくなる。

「神よ、あなたなら、出来るでしょう。彼女の病を私に半分ください」と祈りました。すると彼女の幽体と私の幽体が合体するんです。合体によって濃密になった彼女の幽体から肺の水が押し出されました。ほんの少し残っていましたが、やがて苦しみから解かれました。この祈りは「私に半分ください」ですから・・・・・・魂の奥底からの祈りだったのかよく分かりませんが、

 読書会でも養成講座でも言葉の羅列だけの祈りは私にはできません。というお応えをしておきます。また、瞑想は各自静かな場所で神と向き合う時間を一日五分でも十分でももってください。

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