Re:掲示板に書き込みしている喜び
ciel
09/17 (木) 12:48
葛西さん経由で山本さんの霊視結果の報告を受けました。
事故の状況が怖いぐらいはっきりイメージ出来る霊視に動揺しました。
出勤前にメールを見たのですが、動揺してしまい、出勤準備が出来ませんでした。
私の身に起こることへの準備は出来ているつもりですが、家族となるとまるで駄目でした。
霊的真理のことを忘れ、どうすれば良いか質問メールを投げました。
しかし、不安でメールをしたにも関わらず、不思議なことに、心のどこかでは車で静岡に行くことが決まっている感じがありました。
そして、葛西さんより、掲示板を見るように返信がありました。
9/8,9の霊視結果を見ました。
正直に申しますと、車で静岡まで行くことが決まっている感じがあり、なおかつ、葛西さんにも「心配ない。」と仰っていただいていましたが、どこかで不安がありました。
と言うのも霊視は良くも悪くもそうならないことがあるからです。
誤解を招かぬよう付け加えますと、葛西さんや山本さんの霊視がインチキとかではなく、葛西さんが掲示板に書かれているように、何かの都合で計画が変更されることがあるようです。
(そのあたりの事情は私はよく分からないのですが、確か霊訓にもそのようなことが書かれていたと思います。)
母の守護霊様が教えてくださることにも、今までにそうならないことがありました。
運転席が潰れるような事故はないとしても別の事故が起こるかもしれない。。。
事故ではなく他に何かがあるのかもしれない。。。
不安はあるはずなのに、やっぱり、車で静岡に行くことは決まっている感じがありました。
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出発日の前日の夕方。
私の心境に変化がありました。
実は私は、静岡(結婚式)へは行きたくありませんでした。
お金は掛かるし、小さい子供がいるから大変だし、、、といった唯物主義しかない考えからです。
でも急に、なぜか、
「行きたくないけど、二人の幸せと新しい命が無事に誕生することを祈らせてもらいに行こう!
そうだ!それでいいんだ!」
という思いが湧いてきました。
--そして迎えた当日
レンタカーにチャイルドシートが取り付けられないトラブルがあったものの、無事、静岡へ到着。
帰りもレンタカーを返さなくてはいけない時間が迫っている中、何事もなく自宅に到着し、レンタカーも時間内に返却することが出来ました。
そして私と家族は、以前と変わらない日常を送り、こうして掲示板に書き込みをしています。
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9/8,9の霊視結果を読んだ時、
「この事故で巻き添えになる方や巻き込まれて何かの被害を被る方など霊界ではあらかじめ準備周到にして計画されたことを、(私や、山本さん)霊界の道具として働いている者たちによって変更を迫られた。」
が、どういうことなのか分かりませんでした。
そこで、葛西さんに質問しましたら、以下の返信がありました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
守護されていると言っても現在の環境は、原因と結果の法則によって作用されているのであってすべて順調(生活全般について)に行くとは思わない方がいいのではないでしょうか。
小さな己に捕らわれて判断すれば静岡往復は自分たちだけが無事帰ればいいように思いますが、例えばあなた方が静岡行きを決意したことによって与えられた車、車を貸した業者、同乗者、途中停車するであろう(休憩場所)その時に関わる人、などいろいろな関係によって事が運ばれるのです。
それらの人たちもみな因果の法則の中で生活しているのです。
今回の件はあなたのお母さんによって知らされました。
もし知らされずに事故にあったら、運が悪いと思うか、霊的真理に沿って判断出来る方は被害を被った原因を反省し心を改め、カルマを消化できるでしょう。
それらが一時的に回避されたということは、単に事故が先送りされたと思うか、又、善行を重ねる行為によって完全に事故から解放されるということもあり得ます。(後者、こちらの方が合っているように思います)
いずれにしても、与えられた境遇に感謝以外の何物でもありません。
神へ感謝、あなたのお母さんへ感謝、また<シルバーバーチ読書会かつしか>で学んでる方すべての方に感謝、私と山本さんへは感謝はいりません。
与えられた使命を全うしているだけですから…
今一度前回のメールと(掲示板/ヒーリング日記)に掲載された記事に目を通して吟味してください。いかに恵まれた環境に導いてくださったかをご自分の守護霊さまに感謝してください。
山本さんからは愛の伝言が届きました。
私達は皆、霊なのです。霊界の道具として他者を愛し助けるために、祈り事故の回避をお願いしました。
その願いを霊団がかなえて下さるのは、私達の愛の行為に応えて下さるものです。
神様と善霊に感謝と更なる善行に励む意識とを持って、心安らかにお出かけ下さい。
回避(変更を迫られた)という意味は何となく理解できますか!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
何も分かっていない私にたくさんの「愛」を込めた返信をくださいました。
このメールを頂いてからずっと、「愛」について考えていました。
掲示板といただいたメールを何度も何度も読み返しました。
理由は分かりませんが、「愛」がずっと引っかかっていたからです。
「愛」とは何なんだろう?
「本当の愛」とは何なんだろう?
静岡にいる時も考えていました。
そんな時、ある出来事が「愛」の理解を深めました。
結婚式が終わって、宿泊する宿を探しながら歩いているとき、主人と母に「この道であってんのか?」「(宿の)電話番号は?」などと質問攻めにあっていて、
私が、「○○(宿泊する宿の名前)っている旅館」と言ったとき、私たちの横を、1人のお婆さんが通りました。
そのお婆さんが、私が言った宿の名前を聞いて、「私はそこで働いているから案内しますね。」と仰ってくださり、勤務後で家路に向かっている中をわざわざ
引き返して宿まで案内してくれました。
私たちは、そのお婆さんにお礼を言い、部屋へ行き、子供の夕食を買いにコンビニへ行くため玄関へ行くと、まだそのお婆さんがいました。
お婆さんとフロントの人に、近くのコンビニを尋ねると、案内してくださったお婆さんが、「私もコンビニに用があるので行きましょう。」と言ってくださり、
お婆さんと私と子供の3人で一緒に行きました。
そして、コンビニに着き、子供の夕食を買っているとお婆さんが、「お嬢ちゃんはどんなパンを食べるの?私もそのパンを食べるから半分こしましょう。」と言い、
結局、子供のために買ってくれたパンと「このパン美味しいから食べて。」と、私にまで買ってくれたパンをいただき宿に帰りました。
そのお婆さんは、宿とコンビニの中間に位置するバス停から帰宅されるとのことで、帰りはバス停まで送ってくださることになっていたのですが、
「バスの時間がまだだから」と言い、結局宿まで送ってくださり、さらには、途中で子供がだっこを求めてきたので、買い物袋を全部持ってくださいました。
本来は、宿への道を教えてくださるだけで充分だったのです。
にも関わらず、パンをご馳走していただき、勤務後でお疲れの中、宿とコンビニの往復に加え、宿からバス停までの道のりは負担になったのではないかと思います。
お婆さんは80歳を過ぎている方でした。
夜、布団に入り、その出来事を思い起こしました。
お婆さんの行為は、とても愛に溢れていて涙が出てきました。
もう会うことはない私たちにとてもよくしてくださいました。
親切心、思いやり、感謝、人助け、、、
相手を思う全ての行動の根底には、「愛」があることに気づきました。
「愛」があるからこそ、親切な行動、人助けの行動、ただただ祈り続ける行動が出来る。
「愛」がなければ、そのような行動は出来ない。
私は昔から「愛」に疎い人間でした。
親切心や感謝などを「愛」と切り離して考えていました。
「愛」とは、そういったものとは別物だと考えていました。
親切心や感謝などといった行為は、子供の頃に教え込まれた道徳的な考えから礼儀として捉えていました。
その行為の本来の意味を考えず、ただ、行動していただけでした。
「愛」を取り違えていたのです。
本当の感謝とは、「行為」に感謝をするのではなく、「愛」を受け取ってこそ感謝する心が生まれてくるのだと思います。
そして、「愛」がある恩返しをしていくことが大切な事に気づきました。
葛西さんが仰る通り、私は愛に溢れている恵まれた環境にいることにもようやく気付けました。
家族がいること、「ちゃんと育てなさい。」と神が預けてくださった子供がいること、安心して住むことができる家があること、3食食べられること、仕事があること、霊訓を手にすることができたこと、そして、かつしか読書会に出会えたこと・・・
私は、こんなにも「愛」に包まれていたのだと思うと涙が溢れてきます。
子供の頃は、母(守護霊様)の言葉をうざったく思うことがありました。
それと共に、そういった環境があたりまえになっていました。
私が、その言葉を受け入れようが受け入れまいが、子供の頃と変わらず、大人になった今でも母の口を通して愛の言葉を届けてくれています。
全ての守護霊様がどんな時も訴えかけてくれているのですね。
今回の一連は、きっと、「愛に気付きなさい。そして、愛がある行いをしなさい。」と、痛みも苦痛も伴わないぬくもりに溢れた最高の「愛」を持って、教え導いてくださったのだと思います。
霊訓に幾度となく書かれている『神は宇宙の自然法則であり、完全なる愛であり、完全なる叡智』が分かってきました。
日々、行っているゴミ拾いや母へのマッサージなど、動機を今一度確認し、「愛」ある行動に変えていこうと思います。
そして、もっともっと大きい愛をあげることが出来るように想念を変えていきたいです。
まずは、私達に親切にしてくださったお婆さんへ、無事岐路に着いた報告も兼ねて「愛」をたくさん込めたお礼の手紙を送ろうと思います。