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Sです。 虎さんが再投稿された「SBの霊訓(5) 8章 - 病気は自分で治せる」を何度も読み返しています。 私が持病を克服できないのは、自分の意識が病と同じレベルであり、病のことばかり考えているからだと再認識しました。SBが言う「〝自分は神である。・・・本来は完全なる霊なのだ〟と宣言できる段階」までは遠くて辿り着けないでしょうが、少しでも近づきたいです。 そのために日々の祈りを変更しました(10月24日投稿済)。また、病気に思いを置かない代わりに健康であるものを愛すること、既成の枠組みで価値判断することで自分自身を抑圧しないこと、なども自分の意識向上に役立ちそうな気がします。 SBは、「ルカによる福音書」4章23節から〝医者よ、汝みずからを癒せよ〟を引用しました。これは、イエスがカファルナウムで奇跡を行い、生まれ故郷のナザレに帰ってきた時に発した言葉です。今日「医者の不養生」の意味で使われている様ですが、同章29節まで読んでも私にはその意味がしっくりきませんでした。 ネット情報から当該節を次の様に勝手に理解しました: 1) ナザレの人々が「『郷里』である自分を癒せ」と医者であるイエスに言った、2) それに対してイエスは「預言者を受け入れない病に冒された人々の心は、その持ち主である彼ら自身でしか癒すことができない」と拒否した、3) ナザレの人々は「やれるものならやってみろ」という意地悪な態度を貫いており、イエスに批判されると逆上して集団による排除という実力行使にでた。 そう理解すると、当該節は「医者の不養生」と言うよりも、霊的真理を受入れない、つまり神の摂理でない地上の枠組みで価値判断する限り病気を自分で治せないことを表しており、SBが上記の言葉を引用した背景とも合う様に思えます。 思考を変えて枠組みへの依存を下げないとやはり意識レベルは上がらないのでしょう。時間は掛かりますが、持病を克服するために、焦らずに色々試してみます。 虎さん、SBの重要な教えを何度も投稿して頂きありがとうございます。その度に考える機会を持てるので助かります。 以上です。 ----------------------------- ≪参考≫ 「ルカによる福音書」4章23~29節(抜粋)を以下に載せておきます。 23 イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」24 そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。 ・・・・ 28 これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、 29 総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。・・・・(新共同訳)
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